2015-05-16

待てば海路の…

 1年近く放置してしまいました。
 仕事なくしたり、とはいえ、地域の活動に誘われてそちらで自分の嫌な部分を忘れ去ったり。
 この5月末で、地域の頼まれごとが一段落、そしてその活動の中から縁あって仕事に就くこととなりました。

 一番長く関わっていた分野でのアラタメテ社会人1年生。
 履歴書や職務経歴書では書ききれなかった、経験の部分を評価していただきました。

 この2年間は無駄でなかったなあと考えています。

 地域の活動、今月末に引き継ぎ。フォローしていくので(世の中完璧なことなんてないし)、立つ鳥にはなりませんが、できるだけ濁っているものを清澄にしておこうと思う次第です。
2014-06-24

だれのためなんて

 気づけば4か月も放置してました。
 この間、子供の学校関係でいそがしくしており、前回はまだ長袖だったのが既に半袖の時期。なんだかなあ。
 
 さて、人のためってなんだろうなって思うことが増えました。
 そんなのめんどくさいっていう人と、これからのことも考えたらそういうことは今やっておかないとねっていう人と。

 で、自分なんですが「●●のため」っていう言葉が出てきた時点で白けてしまうのです。あ、今自分がやっていることは何かのためなんだって。それまで、全くもってそんなことも考えていなかったのに立ち止まってしまうんですよね。

 この間、魅力的に感じた人がいて
・会社では管理職なのに自分のソフトボールチームのために荷物持ちや会議出席を厭わない方
・自分の不遇から社会貢献をすることの大切さ、を超えて楽しむことを考えている方

 こんな人と一緒にいたら自分も汗水たらさなきゃっしょ!と思うのです。公私の別なしにね。
 もちろん、時間・経済・物理的制約はあるけれども、最低でも共感できることがあれば声を掛け続けたいと思うこの頃であり、自分はそんなもんだ、と思うのです。

 人間、なんかのためって思った時点で成長がとまるんだよね、きっと。

 
2014-02-24

一億総批評家

 久々の更新が、もう目前に3月が来ている時期とは自分でもびっくりです。
 新年度に入ってから大雪はあるし、自分の生活も新年の賑やかさから解放されるしでまったりと過ごしていました。

 さてさて、自分も陥りがちなのですが、ネット上のニュースに敏感に反応してしまうことがあります。
 最近、それはどうなんだろうなあと思うのです。出拠はどこなのか、誰が書いたのか、主観や感想が入っていないのか、一歩置いて見る必要がありますよね。

 ある特定の方の記事でこんなことがありました。
 いろいろなことを記事を引用されて評価をされることが多い方なのですが、ご自分の生活のことが全く出てこない。どこか違う場所にいらっしゃるなあ、と感じることが増えています。
 もちろん、その方のスタイルを否定するわけではありません。ただ、当事者性がないものにまで踏み込まれることには違和感を感じるばかりです。
 たまたま、私の友人に日常生活を取上げていたり、それが(友人だから自明なのですが)私も共感できることが多いので対極にあると思っているのかもしれません。

 違和感、という言葉を使いましたがこの頃のメディアに関しても似たようなことを感じます。
 情報源がネットにあふれているものからというものが増えていて、独自取材に基づいたものの価値観や醍醐味を感じるものが少なくなっているように思えるのです。
 なぜそんなことを思うのかと考えると、ネットは自分でも容易に検索できる、時々自分が先に見かけたものがいかにも報道です、というように取り扱われていることで。報道に触れている必要性が薄れているように思うのです。

 その結果、ネット情報を元にした報道の普遍化→それに対するネットユーザーの反応や批評が増える→現実味がないものに思えてしまったり、転用の転用に食傷気味になっているのかな。

 自分自身がそういったものから離脱しなくちゃなとつくづく感じるこの頃。個人の身近な喜怒哀楽にあふれている人様のブログや地方紙の記事が楽しく思えるこの頃なのです。
2014-01-04

年賀状はなくならない

 新年を迎えました。
 今年は、曜日の並びもよくゆったりと過ごした年末年始。
 2つの実家、3つの初詣(多すぎますか!)などなどでゆったりと過ごし、今年最初の週末を迎えています。

 SNSやブログなどで日常的に会わない人の近況も手にとれるように分かるようになったここ数年、気づけば自分は発信をしていても、相手が発信をしていたりリアクションがないと疎遠になる、という感覚にとらわれることがあります。
 しかも、そこには知ってもらいたい相手以外にも「友達の友達」という存在もあります。職場や親戚、幼なじみという知り合いだけではなく、全く面識がない人も「初対面」となる状況、今後増えていくのだろうなと思っています。

 そんな状況のなかで、年賀状のこと。
 私はだいたい、次の4つの方たちに年賀状を出しています。
・仕事やプライベートの繋がりの方
・友人
・親戚
・恩師・旧友

 この並びは、下にいくほど日常で顔をつきあわせてお会いする機会が少なくなっています。
 そして、上にいくほど、SNSやケータイ(メール、LINE含む)でのやりとりが多くなっています。

 年賀状は、下に位置する方に対しては自分や家族の近況を細かく書くのが必然になっています。
 そして、喪中のお知らせが来たら、寒中見舞いをお出ししようかと考えるのも同じ方々です。

 人は自然に疎遠になった方のことは気にしなくなるものだと思います。そこにこだわっていては、いつまでたっても自分が更新できないですから。そのなかでも、恩義を感じている人には年賀状のやりとりはしていきたいと思うのです。

 ネットが普及すれば年賀状はなくなる、この言葉は随分前からと感じるくらいに聞かされてきている言葉です。
 しかしながら、今年の三が日、SNSで少なくとも7人は自分の年賀状をアップして新年の挨拶にかえています。

 古き良きなんとか、ではなく年賀状を出し続けることは、ライフハックとか人生の効率化とは違う部分での何かなのではないか、そんなことを思う新春なのでした。
 
2013-12-31

今年のまとめとして

 2013年も残すところ数時間。
 個人的には、大きな転換期、または停滞期の1年でした。しかしながらやんごとなく大晦日を迎えることができてほっとしています。
 情報が入手できるだけでなく、多くの人が評論家となりうる時代。自分はローカルに生きた1年でした。
 来年もこのスタンスでいきたいと思います。

 最後に、毎年振り返っている今年の○○です。
 みなさま、よいお年を。

(七味)
・夏の家族旅行で食べたピザグラタン
・いつもの定番(新宿での日本酒の数々、南砺市の豆腐、利賀村のどぶろくプリン)
・金時山頂上で食べたカップヌードル
・知人がオープンしたお店のゴルゴンゾーラペンネ
・自転車で世界一周を果たそうとしている友人が送ってくれたチーズ
・学生時代の友人が販売するシフォンケーキ
・年末に友人と一緒に飲んだマッカラン18年

(五悦)
・夏休みの家族旅行
・娘の中学校入学
・アウトドア仲間と金時山登山
・おやじソフト&お父さんフットサルを始めたこと
・映画を結構見ることができたこと

(三会)
・PTA関係のみなさま
・おやじソフトを通じて出会ったみなさま
・新しい居場所、イタリア料理店のみなさま